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【未分類】パソコン不具合によるブログ休止について

読者各位

取り急ぎお知らせ致します。ブログ「三刀記―歩み足で愉しむ剣道」を運用している、こちらのパソコンのバッテリーに不具合が生じました。パソコンが満足に使用できない状態になっております。今週末にバッテリー交換の手続きをおこなう予定ですが、メーカーならびに販売店の保障期間が過ぎていることから、復旧まで相当な日数がかかりそうです。新品のパソコンを購入し運用環境を再構築することになるかもしれません。しばらくの間、ブログも休止することになります。

2017年8月22日(火)午前6時20分頃  打味
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【技法】攻め込む拍子

相変わらず、攻め込む拍子について研究しています。いくつか有効と思われる拍子遣いを経験的に持っていますが、なかなか奥深い。もちろん、彼我の様態や関係は常に変化するので、絶対的に有効な攻め込みの拍子遣いはありえない…いえいえ、どうもそうではないようです。妄想だね、とお笑いいただいても結構ですが、剣道という競技の範囲では成立すると“予感”しています。

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【未分類】京の宵

今から30年余り前のこと。京都での思い出です。丸太町の支店で会議が終わったのは午後9時。納品した業務用ソフトのクレーム対策の会議でした。東京本社で待つ上司に報告を済ませて支店を退去したのは午後9時30分頃でした。もう東京の自宅に戻ることはできない時刻になっていました。支店で近所のビジネスホテルを予約してくれました。

ビジネスホテルに向かって歩いていると、路地から子猫が一匹ヨロヨロと出てきた。生後3か月ほどの雉虎だ。腰砕けになりヘナヘナと倒れた。あらら、大丈夫かい、と言いながら両手ですくい取るように抱き上げると、夏風邪に罹ったのか、鼻水が出ている。熱もありそうだ。鼻の頭が乾ききっている。おや、手作りと思われる首輪をしている。名前が縫い込んである。フミちゃんというんだね。フミちゃんのおうちはどこかな。

狭い路地からフミ、フミィーと女の人の声が聞こえてきた。
「子猫ならここにいますよ」と薄暗い路地に向かって声をかけた。
「ありがとうございます。お手間をおかけしてごめんなさい。その子はうちの猫です。風邪ひいて調子ようないのに出ていったんです」
二十歳ほどかと思われる女性がペコリと頭を下げた。

私は彼女にフミを手渡した。
「それじゃ」と言いながら一礼して歩み始めた。
しばらくして振り返ると、彼女はまだ佇んでいてペコリとお辞儀をした。
私もペコリ。

その年の暮れに京都に出張した。
仕事が終わった夕方、支店長から声がかかった。
「今年は大変助けてもらいました。今晩はこっちで泊りで、明日の朝、大阪へいくんやね。近くに馴染みの店があります。つきおうてもろてええかな」

小料理亜屋の暖簾の奥に彼女がいて少々驚いた。
お姉さんとふたりで切り盛りしている。

彼女は私のことを覚えていない。あれからまだ三月足らずなのに、まあ、そんなものかな、と思いつつ料理とお酒をご馳走になりった。覚えていてくれていたら、どのような話になるのか、それはそれでわずらわしいような気持ちもあって、忘れていてくれてよかったと思い込もうとした。

1時間半、支店長と歓談して小料理屋を出た頃、中天には満月。帰る方向が逆なので支店長とは店の前でさようなら。良いお年を。

ややあって、小料理屋にフリースの手袋を忘れたことに気づいた。明朝は大阪支店に行き、その後は神戸の客先へ同行する。冷え込んでいる。手袋は必要だね。

小料理屋に戻り着いて引き戸に手をかけようとしたらカラカラと開いた。
彼女があれっと言いながら笑顔で手袋をどうぞと差し出した。
礼を言って受け取った。
「フミ、元気にしております。あの時はありがとうございました。こちらへお越しの時はまたお出でください」
彼女は店の前まで出て見送ってくれた。覚えていてくれたのか。

その翌年の4月、私は異動になり仕事で京都へ出向くことはなくなりました。
あの年の瀬から今日まで、かの小料理屋の暖簾を開いていない。

30年余りの歳月が流れた。猫のフミはとっくに往生しているだろう。
彼女はすでに50歳前後だろうか。どうしているのだろう。幸せにしているだろうか。


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【技法】「第36回全日本薬学生剣道大会」

本日、明治薬科大学のアリーナで「第36回全日本薬学生剣道大会」が開催されました。清瀬市剣道連盟と東村山市剣道連盟にご依頼があり試合の審判をおこないました。

どのような大会であっても審判をおこなうと勉強になります。本日もいくつか学ぶことができました。もっとも勉強になったのは足遣いのこと。打突の機会をつくる足遣いの優劣が試合を左右します。上段に霞(かすみ)の構えを取るのは有効ですが、足遣いが単調であれば、下がり端あるいは出端に乗り打たれてしまいます。

送り足一辺倒の霞の構えは上段にとっては御し易い。上段の左右を剣先でユラリユラリと攻める時、小さく大きくユラリユラリと歩み足を遣う攻め手もあります。こうした工夫がなければ、長身の上段は中段に圧倒的に有利です。柔軟な創意工夫が剣道を愉しみ上達する道を開いてくれます。

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【文化】朝のお勤め

郷里は岡山県久米郡久米南町の誕生寺地区。県中央部の中間山村です。このブログに何度か書きましたが、平安時代末期の1133年、後年専修念仏を説いた法然生誕の地です。幼名は勢至丸。父は在地の武家で押領使(おうりょうし;現在の警察署長に相当)であった漆間時国(うるまときくに)。母は渡来系氏族秦氏から時国に嫁した秦氏君(はたうじのきみ;実名不詳)。勢至丸はふたりにやっと授かった一人っ子でした。

1141年、勢至丸が9歳の時、館が明石源内貞明(あかしげんないさだあきら)に夜襲され、重傷を負った父は数日後に他界。勢至丸は母の実弟観覚が院主であった菩提寺に預けられます。観覚は聡明な勢至丸に学問を授け、後に比叡山延暦寺に送り出家の道を開きました。

1175年、43歳。南無阿弥陀と唱えれば老若男女の別なく、誰でも阿弥陀仏に救済されるという教えを広めるために、比叡山から下山。満78歳で他界するまで精力的に活動しました。仏教は本来「悟りの教え」ですが、「救いの教え」として最大級の方便である「他力の教え」を広めんとしたのです。

特に女性も当然救済されると説いたことは画期的でした。女性を穢れた存在とする思想が根強かった当時、法然はその誤りを正したのです。阿弥陀仏の慈悲は平等に念仏する人々すべてを救い上げ、決して地獄の業火に苦しむことはない、念仏を唱えながら日々生きていけばよい、というのですから、その教えは貴賤の別なく急速に広まりました。

阿弥陀仏はすべての人々を救済すると誓った。救済を誓願した阿弥陀仏に感謝しつつ念仏を申すと、不安は消滅し己を肯定でき、前向きに行動できるようになる、さあ、念仏しながら元気よく生きてまいりましょう、というのですね。

寺院に対する経済的な布施の多寡によって、往生の可能性が左右されるような誤った教えではありません。

さらに、念仏しながら生活していると、己一身の往生だけを願うのではなく、すべての人々の往生を願うようになる。ここが法然の教えの大事なところでしょう。信仰が利己的になれば排外的になり、暴力が蔓延する世を招来します。

故郷を離れて暮らしている私は、東京の自宅で毎朝小さな厨子に向かって念仏しています。厨子には打味家先祖代々之霊位と記した小さな位牌を安置しています。ひとまず伝統的な位牌にしましたが、連綿と生命を繋いできたことに感謝する気持ちをこの位牌に託しています。ゆえに打味と名付けられた血脈だけを供養の対象にしているわけではありません。すべては深く大きく関係しながら常時変化しているのですから。

4年前、父が他界した直後のこと。郷里で暮らす母から「東京の家でも供養してあげてな」と言われ、簡素な厨子と小さな位牌、富山県で製造された半球形の鈴(りん)、お茶を差し上げる白磁の茶碗を揃えました。

毎朝、3分間程度のお勤めを習慣にしています。合掌して「南無阿弥陀仏」と10回唱える。次に「いっさいの生きとし生けるものは幸せであれ」と3回唱える。そして最後に「ありがとうございます」と3回唱える。そして、合掌を解き自然体になり長く深い呼吸を数回おこなう。

「生きとし生けるものは幸せであれ」、この一節は初期仏典『慈経 Metta Sutta』の五偈からの引用です。仏陀が説いた慈悲の教えを集約した言葉です。

お茶を差し上げ、軽く打ち鳴らした鈴の音色と混然一体となるごとく、上記の言葉を唱えています。心は鎮まり元気が湧き上ってきます。そして、帰宅直後には「見守ってくださりありがとうございます」とお礼を述べ念仏を申します。

実は母から勧められた当初は乗り気ではありませんでした。まあ、そんなものかなと始めたのですが、実践してよかった。感謝の気持ちをもって日々生きていけるようになりました。時に空回りしていた自我が鎮まり、心が柔らかく前向きにはたらきます。

仏陀は「慈悲と寛容」を理法(行動原理)として生きる道を説きました。法然はその理法を誰にで実行可能な「念仏行」によって実践する道を開拓しました。ありがとうございます。

鈴の音は 念仏申す 空に飛ぶ  りんのねは ねんぶつもうす そらにとぶ   如舟


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プロフィール

打味一範

Author:打味一範
三刀記へようこそ。
勝気を離れ、負けを楽しみ、専ら打たれて修業すべし―雲弘流剣術の教えのごとく、切磋琢磨の日々。
Kendo to enjoy with a step foot.

★ブログ開設
 平成23年(2011年)5月23日

@うつみかずのり kazunori utsumi
昭和30年(1955年)岡山県久米郡久米南町生まれ。少年期に剣道入門、青年期は剣道から離れ、38歳で再開。東京都清瀬市在住。清瀬市剣道連盟理事。剣道錬士六段。号は如舟。

★三刀一如の修業法
立業(たちわざ)の抜刀稽古を起点にして、木刀による形稽古をおこない、竹刀による打ち込み稽古で錬り合う。自家製の修業法。

★剣道修業の指針
心ひろやかに、技のびやかに、体やわらかく遣うべし。習い、稽古、工夫を循環させるべし。修業は一人一様。己の持ち味を活かすべし。

★月刊『剣道日本』の連載
平成23年2月号の巻頭特集―「足攻め」の大発見―に初登場。
平成23年4月号から平成24年5月号まで「歩み足で愉しむ剣道―三刀一如の修業法」を14回連載。
平成25年4月号から平成27年3月号まで「“リバ剣万歳”剣道再入門」を24回連載。

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